七 源氏物語は読むものではなかったということについて。

 源氏物語についての感想がはじめて文字にされるのは「更科日記」だと思います。源氏物語が成立してからだいたい20年後に書かれました。菅原孝標女が書いた日記です。現存する最古の源氏の感想文がその中にあります。伯母から箱入りの50余巻の源氏をもらって読みふけった、私もきっと夕顔にようになる、浮舟のようになる、なんてことが書いてあります。

 実はここに、ふたたび大きな勘違いの種があります。今まで、源氏を「読む」と言ってきました。しかしはたして源氏は読むものだったのかということです。

 更科日記には読みふけったとあるわけですから菅原孝標女は確かに読んでいます。ただ、この菅原孝標女というのは受領つまり田舎役人の娘で、宮中勤めにあこがれる、つまり女房つまりキャリアウーマン志向の女性で、紫式部になりたい文学少女です。したがって、菅原孝標女の源氏物語の付き合い方というのはレアケース、もしくは、そんな女の子は他にもいっぱいいたかもしれないけれども本流ではありません。しかし、源氏物語について当時、文字に残っているものは更科日記しかないから、みんなこういった具合に楽しんだんだろう、写しに写されて本にして綴じられた源氏物語をみんながまわし読みなどして楽しんだものなんだろうと考えられてきました。しかし源氏の物語は、実は成立当時、読んで楽しむものではありませんでした。

 玉上琢弥という源氏研究者がいらっしゃいました。1915年生れで1996年に亡くなっています。おそらく最強の源氏研究者だと私は思っていますが、この玉上琢弥教授が1955年に「物語音読論」という論文を発表しました。簡単に説明しますと、源氏物語は読むものではなく、姫様に女房が読んで聞かせるものだった、という論文です。姫様は、絵物語をくくりながら、女房が語る話を聞いて楽しんだ。紫式部が書いたのは、女房用の読み上げ台本なのだ、という主張です。否定論もありますが、当時、物語が読むものではなくて読み聞かせてもらうものだったということは、源氏物語の中に証拠があります。「蛍」という帖は、紫式部が物語論を展開する帖として有名ですが、その中にあります。引用は現代訳、谷崎源氏です。

「殿(光君)はこちらにもあちらにも絵物語が取り散らかっていますのが、おん眼につきますので、(中略)「こういう昔物語でも見るのでなければ、全くほかに紛らわしようのないつれづれを、慰める術もありますまいね」」

「近頃幼い姫君が女房などにときどき読ますのを聞いていますと、ずいぶん世の中には話し上手がいるものですね」

「姫君のお前で、このような男女のことを書いた物語などをお読み聞かせになってはいけません」

 寝転んでいる姫様は・・・姫様は寝転んでいました。十二単は非常に重く、姫様はほとんどの時間を寝転がって過ごしました。だから疲れず、だから夜更かしだったのだそうです。とにかく、寝転んで、絵物語の絵を見ながら、女房が語って聞かせる源氏物語を楽しみました。物語と絵は常にワンセットです。日本の漫画が優れているはずです。歌舞伎などよりはるかに長い伝統です。姫様はそんな具合に、読み手とは別に周りに数人いる女房たちと、登場人物について、噂話をするような調子であれこれ言いながら、楽しんだわけです。

 紫式部はそんな状況を知ったうえで、台本を書きます。源氏物語の前にもけっこうな数の物語というのはあり、たとえば竹取物語などは源氏物語の中にもちゃんとその作品名を持つ物語の一冊として出てきますが、それまでの物語というのはごく粗い筋が仕立ててあるだけで、語り手の女房がその都度いろいろ脚色をして話して聞かせたもののようです。しかし紫式部は、台本の時点で細かく脚色を施した。それが式部の手柄であり文芸だと玉上琢弥教授はおっしゃっています。

 ところで、源氏物語を現代語訳で読むのはいかがなものかとおっしゃる方は多くおられます。もちろん、それを強制する方はきわめて少ないわけですが、なんとなく現代語訳というものに対しては借り物という感じが一般的風潮としてあるように思います。しかし、現代語訳というものを、式部の書いた台本を基にした、優れた作家陣が腕を振るった我々への読み聞かせなのだと考えたとき、そこには源氏物語の楽しまれ方の大元があると申せましょう。谷崎源氏がですます調であるのは、玉上教授の物語音読論を意識したものだという説もありますし、玉上教授は谷崎源氏の実質的監修者だったという説もあります。谷崎源氏第三訳の別巻「源氏物語の引き歌」は玉上教授の著書です。最近の現代語訳を見てみますと、橋本治氏の「窯変 源氏物語」は主人公・光君の一人称で綴られています。これなどは、源氏物語を近代小説化した、非常に道理の通った試みだと思いますし、林望氏の現代語訳には、宇治十帖の最終部にきわめて重要な解釈があります。

 話を戻しまして、式部が物語を書くにあたって、ここが肝心なところだと思うんですが、女房というのは、いろいろな家から来ています。ほとんどが実力者の娘です。宮中で語られる物語ですから、そこにはいろいろな人間関係があり、いろいろな心理がある。しかも、それは不特定多数ではなく、式部はそれぞれひとりひとりの事情を知っているわけです。ちなみに紫式部が仕えたのは、藤原道長の娘、彰子です。時は一条天皇の御世で、彰子は息子を産んでちゃんと中宮になります。源氏物語は、原則として彰子に読み聞かせるために書いた物語です。

 話をおもしろくしようとしながらも、彰子の局にいる人々、訪れる可能性のある人々の立場というものに非常に気を使う。源氏物語は成立当時から約100年ほど前の御世が舞台という設定ですが、実話であることが前提になっています。式部はフィクションだとわかっていて書きますが、それを楽しむほうは実話として楽しむのです。

 したがって、源氏物語というのは、かなり独特な書かれ方をします。事項、八に続きます。
 


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