三 それは小説ではない。文明開化以降と以前の読まれ方について。

 さて、文明開化以降の源氏の読み方とそれ以前の源氏の読み方が違っていることに、普通の場合は、あまり想いを寄せません。寄せる必要もないわけですが、私にとっては考えることが多いので続けます。

 源氏物語が読まれ始めて一千年、その読まれ方にとりわけ大きな変化があったのは明治の文明開化時期です。ポイントはもちろん、西洋近代小説の流入です。

 文明開化を機に大量に入ってきた西洋、つまりキリスト教文化圏の近代小説の特徴をひとことで言うと「唯一絶対神に相対している私というものの問題解決の物語」です。解決に先立って生じるべき問題に説得力が無かったり、解決が甘かったりぬるかったりすると、駄作と呼ばれます。つまり、それこそ源氏物語が現代人に駄作と評価される理由なのですが、ここにすでに齟齬があることがおわかりいただけるかと思います。源氏物語には唯一絶対神もなければ、実に解決すべき問題も、そもそもありはしないのです。

 結論を急ぎすぎていますので話を戻しますと、とはいえ、西洋近代小説が流入した当時においても源氏物語は古典として存在していました。しかし、単に古典として存在しているだけで、その比較対象とはなりにくかったはずです。そこに、まことに画期的なことに、源氏の現代語訳というものが明治45年に登場します。与謝野晶子の手による与謝野源氏です。豪華本出版を事業として手がけていた大阪の出版業者、金尾種次郎が企画したもので、与謝野晶子にはとりわけ文学的使命感などといったものは無かったようです。

 駄作と呼ばれる起源はおそらくここにあります。与謝野源氏をもって源氏物語が小説として読まれ始め、評価の舞台が西洋近代小説と一緒にされ始めました。もちろん、一緒にしてしまった現代人にも、与謝野晶子の現代語訳にも責任があるわけではありません。ただ、西洋近代小説と源氏物語はまったく別物だという事実があって齟齬を起こしているだけです。別物、ということについては、追々にお話ししていきます。

 別の視点からの評価として、昭和初期から敗戦までの間の「皇室に対する不敬」というものもあるわけですが、これもまたすべて、現代語訳が出て、広く読まれるようになった結果です。映画監督の小津安二郎が中国に出征していた際に、葉書で谷崎源氏を送ってくれるように戦地から母親に頼んでいますが、届いた源氏はおそらく、あちこち墨塗りされたものだったことでしょう。

 文明開化以前および明治に入ってからしばらくたっても、与謝野源氏が出るまで、源氏物語というのはそうそう一般人が読めるものではありませんでした。源氏物語として世間にあったのは、原文に注釈のついた手引書だけです。源氏物語は、もっぱら学者が読み、研究する文献でした。

 注釈というのは、引き歌と呼ばれますが、出てくる歌の原典、地の文にも歌のかけらが出てきますからその原典をあたること、また、漢籍からの引用を明らかにすること、です。読み下しの解説も含みます。

 紫式部は漢文が読めて漢籍に詳しかったので、そこからの引用が多くあります。特に司馬遷の史記を大いに参考にしているそうで、史記からの引用も多い。源氏物語は、研究のための研究がもっぱらにされてきました。鎌倉以降は、武家人が持つべき教養のひとつとして教える、公家人のビジネス商材のひとつでもあったようです。

 これらの手引書は、だいたい11世紀の初頭に源氏が完成してから徳川末期の19世紀中ごろまで、わかっているだけで90冊書かれています。次の一覧の量を見て驚かれるかどうかはわかりませんが、少なくとも日本人がどれだけ源氏にとらわれてきたか、またはとらわれているかということの証になるのではないかと私は思います。

源氏物語 注釈・解説書

平安時代末期
 源氏釈 藤原伊行
鎌倉時代初期
 奥入 藤原定家
13世紀
 水原抄 源親行
 紫明抄 素寂
 異本紫明抄 不明
 幻中類林 華洛非人桑門了悟
 弘安源氏論議 源具顕
 雪月抄 不明
14世紀
 原中最秘抄 行阿
 河海抄 四辻善成
 仙源抄 長慶天皇
 珊瑚秘抄 四辻善成
15世紀
 千鳥抄 平井相助
 類字源語抄 師成親王
 源氏物語提要 今川範政
 一滴集 正徹
 山頂湖面抄 祐倫
 源氏和秘抄 一条兼良
 源氏物語年立 一条兼良
 花鳥余情 一条兼良
 源氏物語之内不審条々 一条兼良
 種玉編次抄 宗祇
 源語秘訣 一条兼良
 口伝抄 一条兼良
 雨夜談抄 宗祇
 紫塵愚抄 宗祇
 源氏物語聞書 肖柏
 源氏物語青表紙河内本分別條々 猪苗代兼載
 源語花錦抄 肖柏
 一葉抄 藤原正存
 三源一覧 富小路俊通
 源氏物語不審抄出 宗祇
16世紀
 弄花抄 三条西実隆
 細流抄 三条西実隆
 最要抄 耕雲
 源氏男女装束抄 月村宗碩
 明星抄 三条西実枝
 万水一露 能登永閑
 休聞抄 里村昌休
 長珊聞書 長珊
 林逸抄 林宗二
 浮木 橋本公夏
 紹巴抄 里村紹巴
 山下水 三条西実枝
 覚勝院抄 覚勝院
 孟津抄 九条稙通
 花屋抄 慶福院花屋玉栄
 岷江入楚 中院通勝
17世紀
 玉栄集 慶福院花屋玉栄
 源氏抄 不明
 源義弁引抄 一華堂切臨
 十帖源氏 野々口立圃
 源氏鬚鏡 小島宗賢・鈴村信房
 おさな源氏 野々口立圃
 首書源氏物語 一竿斎
 湖月抄 北村季吟
 源氏外伝 熊沢蕃山
 源氏註 中院通茂
 窺源抄 石出常軒
 源偶篇 契沖
 源氏物語忍草 北村湖春
 源注拾遺 契沖
18世紀
 紫家七論 安藤為章
 一簀抄 近衛基熙
 紫文蜑之囀 多賀半七(俗語訳)
 源氏官職故実秘抄 壺井義知
 源氏物語新釈 賀茂真淵
 源氏物語年紀考 本居宣長
 紫文要領 本居宣長
 ぬば玉の巻 上田秋成
 源氏物語ひとりごち 伊勢貞丈
 源語梯 五井純禎
 紫文紅筆 橘たか
 源氏物語玉の小櫛 本居宣長
19世紀
 宇津保物語玉琴 細井貞雄
 すみれ草 北村久備
 日本紀御局考 藤井高尚
 源氏物語瓊の御須磨琉 荒木田守訓
 源氏物語玉椿 細井貞雄
 玉の小櫛補追 鈴木朖
 紫のゆかり 山岡浚明
 少女巻抄註 鈴木朖
 源註余滴 石川雅望
 源氏物語大意 天野直方・和田祖能
 湖月抄別記 橘守部
 源氏雅語解 菅原種文
 葵の二葉 堀内昌郷
 源氏類纂抄 松岡行儀
 源氏類語 足代弘訓
 源氏物語評釈 萩原広道
20世紀
 与謝野源氏 与謝野晶子(1912年)
 谷崎源氏 谷崎潤一郎(1935年、1951年、1964年)
 校異源氏物語 池田亀鑑(1942年)
 源氏物語評釈 玉上琢弥(1964年) 
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 特に13世紀から手引書ブームになって、以降で88冊が書かれています。平均するとおよそ7世紀700年間に亘ってほぼ10年おきに一冊の手引書が書かれていることになります。13世紀から数が増えるのはなぜかというと、この頃にはもう、源氏の原文は、今の我々と同様、読めなくなっていたからです。次項、四に続きます。
 


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