平成29年7月26日  源氏物語と相撲

 平安当時、相撲は宮中の年中行事で「相撲節会(すまひのせちえ)」と呼ばれていました。正月17日に行われる弓の儀式「射礼(じゃらい)」、5月5日に行われる馬上から弓を射る儀式「騎射(うまゆみ)」と並んで、「相撲節会」は「三度節」のひとつに数えられていました。当初は7月7日に行われる行事でした。
 源氏物語には、相撲が「竹河」と「椎本」の帖に登場します。相撲そのものは登場しませんが、平安貴族の生活の中で、「相撲節会」がどのような位置にあったのかを垣間みることができます。「椎本」で、宇治に住んで出家をのぞむばかりの没落した皇族・八の宮に、薫の君が宇治への再来を約束する場面です。

≪「……こういう対面もこれが最後になりはしないかと、心細さについ怺えかねて下らぬ愚痴を数々申してしまいました」とお泣きになります。
客人の君(薫)、
 いかならん世にか離れせん長きよの ちぎり結べる草のいほりは
(末長くお約束いたしましたからは、いつの世にこの草の庵をお見捨てしましょうぞ)
相撲節会など、公の御用の忙しい時が過ぎましてから、またお伺いいたしましょう。≫(『潤一郎訳源氏物語』谷崎潤一郎・中央公論社)

 薫の君が不在の言い訳に使って十分な理解が得られるほど、「相撲節会」は宮中の一大イベントでした。薫の君は、当時、「相撲節会」を主宰する側である近衛府の重職にあったのです。


平成27年10月28日  源氏は男が読まないと。②「なぜ彼らは謝らないのか」

 前稿①で、源氏物語は言い訳だらけだということをお話ししました。今回は、なぜ、源氏物語の登場人物は言い訳をするばかりで謝罪をしないのか、ということについて考えたいと思います。

 源氏の登場人物たちは、見事に謝罪ということをしません。決して謝らない。たとえば、葵上の臨終の際には生霊としてとりついた六条御息所は、紫の上の重体の際にも死霊で現れて物の怪としてとりつくわけですが、悲しませることの多かった御息所に対しても光君はこんな感じです。(引用はすべて新々訳谷崎源氏。「」はセリフ。‐‐は地の文)

 まず、とりわけ六条御息所が恨みに思っているのは、こういうことです。

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「中でも、存生中に人より軽くお見下げなされて、捨てておしまいになりましたことよりも、思う方とのお物語の折などに、私のことを憎らしい嫌な人間であったように、仰せ出されました恨めしさ、今はこの世にいない者だからと御勘弁なすって、他人が悪口を言うような時でも、それを打ち消し、庇うようになすってこそと、思いましたばかりにかような忌まわしい身になりまして、こんな祟りを働くのでございます。」
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「こんな祟り」とは、紫の上に物の怪としてとりついて殺そうとしていることを指します。それに対して光君(この時点で46、7歳)の態度はこうです。

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‐現世の人間でいらしった時でさえ不気味な所のあったおん方の、まして今では別な世界に生を受け、怪しい変化の姿をしておいでになるのを思いやり給うと、ひどく疎ましくなりますので‐
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 だいたいからして光君の栄華の極みの象徴である六条院は、内親王だった御息所から、その娘を後見して帝に嫁がせた(秋好中宮)ことによって手に入れた敷地の上に建つのです。にもかかわらず、さらに、こんなです。

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‐中宮のお世話をなさるのまでが今はもの憂く、詮じつめれば女というものは皆罪障の基になるものなのだと、なべての世の中が厭わしくおなりになる‐
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 もう、徹底的に御息所が悪い。これには理由があって、当時の平安貴族の心理のよりどころは仏教ですから、物の怪になった以上、やはり御息所が悪い。『窯変・源氏物語』の作者・橋本治氏は、この、平安貴族たちの心理状態を仏教本位制と呼びました。仏教(当時の呼称は仏法ですが)の教えからはみ出ることなく判断をあえて停止して生きる、という姿勢です。

 当時の平安貴族がどれほど仏教に拠っていたかというのは、御息所の物の怪が言う、次のセリフでわかります。光君に、こう娘に伝えてくれ、と御息所は言います。

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「斎宮でいらっしゃいました時のお罪が軽くなるように、功徳を積むことを必ずお忘れなさいますな。残念なことでございました。」
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 御息所の娘(秋好中宮)は12歳からの10年間ほど、伊勢の斎宮を務めました。斎宮とは天皇に代わって、その一代の全期間、伊勢神宮に仕える皇室女性のことです。当然その期間は仏事から離れることになり、御息所は娘のそんな状況を「罪」であり「残念」だったと言っているわけです。

 そしてこの仏教本位制が、「彼らが謝らない」おおかたの理由です。キーワードは「宿世」あるいは「前世」です。

 光君はスーパーマン的なキャラクターですから極端に「謝らない」。なので、そうではない脇役、ここでは、柏木という登場人物(前・頭中将の長男。光にとっては義理の甥。息子・夕霧の親友)の謝らなさ加減を見ていきたいと思います。

 源氏物語中、最も事件らしい事件を起こすのが柏木です。若菜・上の終盤あたりで登場し、若菜・下を経て柏木という名の帖が次に続きます。簡単にいうと、柏木は光源氏の妻・女三宮を寝取り、子を生ませます。この子どもが後、宇治十帖の主人公となる薫です。

 当稿からは離れますが、実はここにきわめて興味深い、非常に過激な仕掛けがあります。光、そして夕霧は、いわゆる父方に天皇の血を引く万世一系(光と藤壺との不義の子は後に冷泉帝となるが、光は桐壺帝の実子なので問題なく冷泉帝は万世一系)ですが、光の一族は皇籍ではないにしろ、異種血縁の薫が紛れ込むことになる。源氏54帖にこの伏線の活かされた帖はありませんが、夢浮橋以降に紫式部が用意していた物語がもしもあるならば、壮年の薫が描かれるにおいて重要なテーマになっていたことはまず間違いないでしょう。光が亡くなったあとの物語の主人公に選ばれたのは夕霧ではなく、とにかく薫でした。このことについてはまた別の機会といたします。

 柏木の事件当時の状況をまず説明しておきます。光源氏は46、7歳。准太政天皇の地位にあり、朝廷の全人事権を掌握する、皇室外戚の最高権力者です。六条に広大な敷地の邸を持ち、関係した女性たちのほぼすべてを住まわせている。邸の女王は連れ添ってすでに25年ほどになる光最愛の紫の上(若菜・下の時点で本厄の37歳)です。そこにはまた、光の兄の朱雀院から後見を頼まれた三女・女三宮が嫁いできています。実質上、六条の邸の女王は紫の上ですが、身分上では、なにしろ内親王ですから女三宮がはるか上に位置する。紫の上の寿命を縮めた心痛の理由です。

 この状況を背景にして柏木が起こした事件を整理すると次の通りです。柏木の年齢は不明ですが、夕霧の少し下の設定なので24、5歳。

1) 女三宮(事件時ハタチそこそこ)の居室から子猫の唐猫が逃げた拍子に誤って御簾が上がり、蹴鞠をしに訪れていた柏木が女三宮の姿を垣間見てしまい、恋を患う。
2) 光君には最愛の紫の上がいて、女三宮は光から大事にされておらずに辛い思いをしている、と柏木は心理的アリバイを自らの心に醸成する。
3) 柏木は女三宮の女房のひとり(小侍従)に、女三宮の寝室に手引きをするよう伝えるが叶わない。柏木は一計を案じて唐猫を手に入れ、残り香を頼りに女三宮の身替りとしてその猫を可愛がり、さらに思いをつのらせる。
4) 紫の上が重体となり、六条邸から二条邸に移されて、光はその様子見のため留守がちになる。柏木、女三宮の姉・二宮(落葉宮)を娶る。
5) しつこい柏木に小侍従はついに折れ、女三宮の寝室に手引きしてしまう。柏木は女三宮の寝室で猫の夢を見る。猫の夢は懐妊の象徴という説と不吉の象徴という説とある。
6) 女三宮は妊娠する。柏木は盛んに文を送るが女三宮は光を恐怖して会おうとはしない。
7) 光が柏木の文を見つけてしまい、ことを知る。柏木は笛の名手。朱雀院の五十の賀の楽奏の用意にかこつけて柏木を六条に呼び、無理やり酒を飲ませなどする。
8) 酒を無理やり飲まされた晩から柏木は危篤状態となる。
9) 女三宮は男子(後の薫)を出産し、直後に父の朱雀院に頼み込んで出家する。
10) 柏木、死ぬ。

 だいたい二年ほどの間の出来事です。女三宮が出産した男子が光の胤ではないことを知っているのは、女三宮本人と小侍従と光の三人のみ。この小侍従が老いて尼となってから薫に出生の事実を告げる役目をします。(訂正・薫に出生の秘密を告げるのは柏木の乳母の子・弁でした。このページをご閲覧の方からご指摘をいただき、訂正を申し上げます。ご指摘に感謝いたします。不勉強の自戒をもって、元の誤りはそのまま残します。)

 さて、柏木の事件は、柏木が我慢すれば何も起こらなかったわけですが、我慢をしなかった理由というか原因を、女三宮に向かって柏木はこう言います。

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「やはりこうして逃れられない深いおん宿世があったのだとお諦めなさいませ。自分ながらも正気ではなかったような気がいたします。」
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 自分は悪くない。宿世、つまり前世からの因縁、決まっていたことなのだ、と柏木は言うのです。つらいことばかりになるならば悲劇に、よいようになれば幸福になるだけであって、反省すべき点は何もない、西洋近代的に言えば運命だというわけですが、実はここには大きなからくりがあります。

 ことに及ぶ前、柏木は女三宮にこんなことを言います。身体をひき寄せるための口説き文句です。

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「(中略)年月が立つほど、口惜しくも、辛くも、恐ろしくも、悲しくも、さまざまに深く思いがまさりますのに怺(こら)えかねまして、こう、身のほどを知らないところをお目にかけましたものの、思慮の足りない、申しわけのないことだとは存じておりますので、もうこれ以上罪な心はさらさらないのでございます。」
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 自分が悪い。それはもう知っているから、これ以上、悪いことはしない。何もしないから身をまかせてくれ、と言っているのです。こういう口説き方も当時のステレオタイプで、これこれこういうわけだから何もするわけないじゃないか、と言って抱き寄せるのが定石なわけなんですが、柏木のユニークは、この口説き文句の中に「申しわけのない」という意味が入っているところです。

 柏木は、こういうときには申しわけないと考えるものだ、自分には他にしようがあったと考えるものだということを、ちゃんと知っている。しかし、結論は「逃れられない深いおん宿世があったのだとお諦めなさいませ」なのです。これはまったく文字通り仏教本位制という制度の利用であって、実に柏木はまったくうまくやっているのです。

 何のために利用するのか。安定のためにです。宿世という共通了解で、以降に何が起ころうが、すべては宿世ということで了解され、争いごとにはならずに静まっていく。もちろん、積極的に、世を欺くといった態度で利用しているわけではありません。生活の知恵といった方がよほど正しいでしょう。口説き文句の中では謝ってもいいが、核心のところでは決して謝らずに宿世ということにする。謝罪や反省は時と場合によっての世過ぎのテクニックに過ぎません。言ってしまえば人のすべての行為は、宿世という言葉であらかじめ世界から許されてしまっているのです。

 さて、ここに現れる宿世というものが、仏教の本来的な意味・意義の宿世、前世と同じものであるかどうかは興味深いところで、これから勉強しようと思っています。しかし少なくとも、源氏物語の、特に柏木にまつわるお話に現れる宿世は、今までお話してきたような、現世に生きる人間の安全保障のための考え方として使われていることは間違いありません。

 そして、やや唐突ではありますが、私はここに日本文化の芯の強さということを思うのです。当サイトに掲載してある拙稿「源氏は国民文学か」の「九 もののあはれ、という存在論について。」で申しましたが、神話から見る日本古来の世界観は「道理は綿々とすでにどこかにある」という世界観です。上記、柏木にまつわる話に見える宿世はまさにこの世界観そのもので、日本はここでも外圧である仏教を日本に取り込んでしまっている。源氏物語に書かれてある仏教が平安仏教と呼ばれるものであるならば、平安仏教はまさに日本型の仏教です。
 


平成27年6月23日  源氏物語は現代語訳で正統。

 源氏物語を現代語訳で読むのはいかがなものか。そうおっしゃる方は、少なくなくいらっしゃいます。現代語訳では源氏を読んだことにはならない、というご意見です。そこまで主義的でなくとも、なんとなく現代語訳については、古文は難しいのでしかたなく読む代替品という感じがぬぐえない風潮というものもあるように思います。

 たぶん死んでも終わらないと思いますが、筆者は源氏物語の原文(とはいっても小学館の新編日本古典文学全集の源氏)をすべてひらがなに開いてペリカンの万年筆とロイヤルブルーのインクを使ってノートに書写していくという嫌味な趣味を持っています。確かに味わいというものは、あります。また、敬語による関係表現の妙、というのは古文でなければなかなかわからない、ということもあります。

 けれども、源氏物語は原文で読まなければ味わいもへったくれもない、という意見に、筆者は大きく反対です。ふたつ、理由があります。

 まず、消極的で軽い理由をひとつ。原文原文と言われるけれども、それは本当に原文なのか、という問題です。作者とされる紫式部が書いた文書そのものは現存していません。写しに写しを重ねた文書が散在している状態だったのをまとめた人々がいて、その成果が源氏物語五十四帖と呼ばれています。

 現在、一般的に定本とされている源氏物語は、鎌倉期13世紀前半に藤原定家が指揮をとってまとめたものです。つまるところ、今広く読まれている源氏物語は定家源氏で、二次、三次あるいはそれ以上次の資料です。特に15世紀以降に多数書かれる源氏の注釈書はそういった状態との戦いで、原文主義とはつまり、十世紀近くに亘る先人たちの業績の総和を参照せよとする主義なわけです。とても太刀打ちできるものではありません。もちろん太刀打ちすることには重大な価値があり、学府をはじめとする研究者の方々には尊敬以外の念を持ちません。方々の研究があってこそ今と将来、源氏を楽しむことができるわけです。だからこそしかし、おそらく学府にいるのでない限り、原文主義はナンセンスです。

 ふたつめの理由が本題です。拙稿「源氏は男が読まないと。① 」に書いたことですが、源氏物語には書かれた目的というものがありました。世間を知らない、また知るべくもなく育てられる貴族の姫君に、世の中はこのように出来ていると教育するために女房が語り聞かせたものが平安期の物語で、文字で書かれた物語は女房用の読み上げ台本です。源氏物語も例外ではありません。一条天皇のもとに入内した道長の娘・彰子に読み聞かせるために書かれました。女房が姫に読み聞かせる。これが源氏物語が楽しまれるシーンのオリジンです。

 現代語訳というものを、残された台本を基にして行う、優れた作家陣が腕を振るった我々への読み聞かせなのだと考えたとき、それは源氏物語の楽しまれ方のオリジンそのものだ、と筆者は思います。つまり、正統的です。読み聞かせてもらう我々が姫ではない、というところだけ違います。作家というポジションはどこかしら女房に似ていますから、そこはいいんじゃないかと思います。

「蛍」は、光君の口を借りて作者が物語論を展開している帖としてよく知られていますが、中にこんな一節があります。

「殿(光君)はこちらにもあちらにも絵物語が取り散らかっていますのが、おん眼につきますので、(中略)「こういう昔物語でも見るのでなければ、全くほかに紛らわしようのないつれづれを、慰める術もありますまいね」」

(谷崎潤一郎訳源氏物語より引用)

 当時の物語の楽しまれ方がわかる一節です。姫は寝転んで・・・姫様は寝転んでいました。十二単は非常に重く、姫様はほとんどの時間を寝転がって過ごしました。だから疲れず、だから夜更かしだったのだそうです・・・とにかく寝転んで、絵物語をめくりつつ、女房の読み聞かせを聴くのです。姫つまりエンドユーザーの手元にあるのは、絵物語。今でいう漫画です。日本の漫画が優秀なのは当然です。能や歌舞伎などよりはるかに長い伝統です。現存最古の源氏物語の絵巻といえば平安時代末期の作とされる国宝が有名ですが、これはあくまでも現存最古です。物語が書かれるそばから、絵のついた絵物語に別途アレンジされていったはずです。何が言いたいかといいますと、筆者が正統としたい現代語訳には漫画作品も含まれる、ということです。

 最近の現代語訳では、林望氏の「謹訳 源氏物語」が2013年に完了しています。林望氏といえばリンボウ先生、主にイギリスの生活習俗を扱ったエッセイストとしてつとに知られていますが、文献研究を旨とする書誌学の専門家でもあります。大学職退任まで時期を待ち、満を持して源氏を訳したという氏の現代語訳は、上記、太刀打ちのできない部分まで踏み込んであるはずの名訳だと思います。「夢浮橋」のエンディングは大いに驚きました。

 きわめて特異な現代語訳として、橋本治氏の「窯変 源氏物語」(1993年完了)があります。年老いた女房が語り手としていて、伝え聞いた話ですが、というかたちで書かれているのが源氏物語ですが、橋本治氏の源氏は、光君を完全主人公とする一人称で書き改められています。

「窯変 源氏物語」はきわめて論理的、科学的にして道理の通った試みであり、それを貫徹されてしまった氏には敬服する以外にありません。源氏物語は小説ではありません。明治以降の近代小説とは目的もテーマもつくりも異なるから、というのがその理由です。氏の源氏は、それをあえて近代小説化するという方法で書かれた、現代日本有数の知性・橋本治氏ならではの源氏物語論です。「窯変 源氏物語」を読むと、源氏は何がどうして面白いのか、少なくとも橋本氏が源氏の何に魅力を感じているのかということがわかります。

 


平成27年6月20日  源氏は男が読まないと。①

 源氏物語は、言い訳だらけの物語です。言い訳するのは、もっぱら男です。うまいことを言っているつもりでも絶対に女性には届かない言い訳ばかりで、源氏物語はつまり、男の言い訳のNG集です。したがって男はみな、源氏を読んだほうがよろしかろうと思います。

 たとえば、光の息子・夕霧は、初めての浮気に際して、妻・雲居雁にこんな言い訳をします。

「私のような男がまたとあるでしょうか。相当の地位に昇った者が、こうして脇目もふらないで一人の人を守っていて、臆病な雄の鷹のようにしているのを、世間の人はどんなに笑っているでしょう。このような偏屈な男に守られておいでになるのは、あなたのおためにも自慢にはなりますまい。あまたの美しい方々が揃っている中で、やはり一段と立ち勝って、違ったお扱いを受けるところが見えてこそ、人も奥床しく思いましょうし、御自分としてもいつも若々しい心持で、絶えず世の面白さや哀れさや哀れさを感じることができるのです。私などはたった一人を後生大事に守ったという某の翁のような愚かな人間なのですから、まことに口惜しい次第です。これではあなたも張り合いはありませんな。」

 妻・雲居雁はこう切り返します。

「何か張り合いのあることをお拵えにならねばならないほど、古臭くなった私なのでございましょうね。そんなにあなたが当世風にお変わりなされた御景色の凄まじさに、初めてお目にかかりますので、たまらない気がいたします。」

(谷崎潤一郎訳源氏物語・「夕霧」帖より引用)

 源氏は「女の物語」とも呼ばれます。たいがいは、女の方が偉くて筋が通っています。実際、女の采配で事は落ち着きます。上記の一件でも、夕霧が浮気をやめる、やめさせられるというようなことは起こりません。夕霧は放っておかれて、くどいったらありゃしない己の言い訳に何を思うでもなく、あいも変わらず淡々と出世していくだけです。あいも変わらずというところにひとつ、源氏物語の面白さの本質じみたところがあるのですが、別の大きなテーマですので他の機会といたします。

 ちなみに当時、財産の相続権は女が持っていました。女が偉くまた強い、ということにはこういった事情も関係しているはずです。男にあるのは身分だけで、身分に女(財産)がついてくる仕組みでした。光が最終的に六条の大屋敷に住むことになったのも、その大部分の前所有者である六条の御息所の娘をいったん養女にして帝に嫁がせたからです。

 さて、源氏物語が言い訳だらけなのはなぜでしょうか。もちろん、それぞれにやましいところがあるからですが、反省して謝り、身を改める人物は、なぜか源氏にはおそらくひとりも登場しません。だからつまり言い訳だらけになるわけですが、存外、こんなところに源氏物語とは何の物語であるかといった秘密まで隠されているように思います。

 源氏物語はなぜ言い訳だらけなのか。結論から先に言いますと、源氏物語は小説ではないから、です。

 平安期の物語には目的がありました。世間を知らない、また知るべくもなく育てられる貴族の姫君に、世の中はこのように出来ていると教育するために女房が語り聞かせたものが平安期の物語です。文字で書かれた物語は女房用の読み上げ台本で、源氏も例外ではありませんでした。これは故・玉上琢弥博士が前世紀中頃にされた主張で、筆者はこれに大いに与します。そして、その台本たるべき物語を書くときに、作者といわれる紫式部が演出をこと細かく書き込んだために、他にあまたあったと思われる物語よりも源氏は文芸度が高く、現在に至るまで日本文芸の中心にいる次第となったようです。ちなみに、平安末期から明治維新までの800年ほどの間に、現存するだけでほぼ10年に一冊のペースで源氏物語の解説書・評論書が書かれています。あまり意識されませんが、日本は実に源氏物語にとらわれ続けています。

 源氏は小説ではないと申し上げましたが、この「小説」とは、明治以降の近代小説のことを指しています。明治以降の近代小説のテーマはひとことで言えば「「私」の問題を解決して「私」を救済するその方法」です。キリスト教文化圏の西洋近代小説が輸入された結果です。そして、源氏物語はこのテーマをまったく持っていません。源氏は小説ではない、というのはそういう意味です。

 では、源氏物語には何が書かれているのでしょうか。人と人、人と社会の関係のゆらぎのありさま、に尽きます。本居宣長が源氏物語を批評して言った「もののあはれ」とはこのことだと筆者は解釈しています。源氏物語には、当時の世界観がしつこく描かれます。姫君に「世の中はこのように出来ている」ということを教える目的を持っているわけですから当然です。

 源氏の作者には「私」中心の視点はありません。登場人物の心情といったものは、すべて「関係」の描写で描かれます。世界は「関係」でできている、というのが源氏の世界観で、絶対的な主軸、イデオロギーの発想がありません。「関係」のうつろいが描き連ねられていって、結果、読む側聴く側の胸中に何かしみじみとした感じが生じる、といった書かれ方になっています。一般的にはこの「何かしみじみとした感じ」が「もののあはれ」だとイメージされているようですが、これは狭義の「もののあはれ」です。

 源氏物語がべらぼうに長い理由もここにあります。「関係」というものを描きますから、ひとつのものごと・事件について、源氏では必ず複数の視点から描かれます。誰がああ言う、誰はこう言う、誰はああでも他ではこう、といった具合です。従って、源氏物語は非常に長くなります。くどくどしいばかりで、面白くありません。本居宣長でさえ、源氏はつまらないということを認めています。けれども、宣長は同時に「飽きない」と言っています。源氏の魅力はここです。

 関係の世界観のもとでは、簡単に言えば「関係の安定の追求」が日々の暮らしということになります。けれど否応なく人には、男と女ということがあり、立場ということがあり、妬み嫉みというものがあって、絶対に安定などしません。しかし、源氏の登場人物たちは安定を追求してやみません。関係の安定の追求とは、目立たずにいようと努力することです。従って、源氏物語はその場のとりつくろいばかりが延々と描かれ、結果、言い訳だらけになります。

 言い訳だらけとなる、は、謝らない、と同義です。謝らない、は、私は悪くない、と同義ですが、私という言葉が入った時点で、これは西洋近代的な解釈になります。源氏物語は、謝らないを含め、言い訳しっぱなしでその先がありません。世の中はこのように出来ていると教育するために書かれたものが存在論以外の何かであるはずがなく、言い訳のケーススタディであると同時に源氏物語は、西洋の系譜とは異なる日本古来の存在論を考えるとき大いに参考になる、お徳な物語です。

 


平成27年3月20日  夕顔と近江の君。

源氏物語には、四百三十人以上の人物が登場します。ほとんどの人物が引っ込み思案で憂鬱な人となりで、それは大いに当時の人々の世界観に関係があるわけですが、ともかく考えてばかりいて出口を見つけない人ばかりです。そんな中で少々性格を異にしている登場人物、キャラクターがまずは夕顔、そして近江の君ではないかという気がします。
仮面をはずした光君に対して「たいしたことないわね」なんてことを言う夕顔については、そこを魅力に感じておられる方もきっとずいぶんいらっしゃるのではないかと思います。私もその中のひとりです。これだけでも源氏物語の、どうにもならぬ帳のような気の重さを瞬間晴らす、けっこうな、風穴です。そしてもうひとり、近江の君というのは、田舎者で早口で無骨でつくる歌もひたすらにまずい、けれども妙にやる気だけはある、玉鬘の比較参考引き立て役として現れる女君ですが、この君がなんだかとてつもなくいじらしくて可愛らしい。物語の中ではどうにもすくいようのない書かれ方をしていますが、作者・式部にとってはけっこう愛着のあるキャラクターなのではないかとふと思いますし、また、そうであってほしいと思います。