『最新発掘調査でわかった「日本の神話」 』(宝島社 TJMOOK) で、部分執筆を担当しました。

 ●卑弥呼の謎●高天原は縄文期の関東がルーツ●大山古墳●幻の葛城王朝●琉球の神話●アイヌの神話、の項を執筆しております。

 この中で、今回、邪馬台国論争についてコンパクトにまとめました。いわゆる、九州?近畿?というものです。両説は江戸時代からあって、正徳の治で知られる新井白石は大和国つまり近畿説をとりましたし、九州説については、国学者の本居宣長がその祖でもあります。明治43年(1910年)に東京帝国大学の白鳥庫吉教授が九州説、京都帝国大学の内藤湖南教授が近畿説をほぼ同時期に主張して以来、「論争」のかたちになって現在に至ります。邪馬台国および卑弥呼は「魏志倭人伝」という中国の書にのみ登場します。日本書紀には、想定される年代の巻に、「魏志倭人伝」という書にこれこれこういうことが書いてある、と記されてはいますが、邪馬台国の名も卑弥呼の名も出てきません。あえてその名を書いていないと言った方がいいようにも見えます。

 魏志倭人伝は、中国・三国時代(184~280)の「魏」「蜀」「呉」の三国の歴史を、最終的に統一した「西晋」(旧・魏)の立場でまとめた歴史書「三国志」の一部。現存で「魏志」30巻、「蜀志」15巻、「呉志」20巻からなる「三国志」の中の、魏志倭人伝は、「魏志」の一部分、中国の東方諸民族・諸国について記した第30巻目「東夷伝」の中の1条「烏丸鮮卑東夷伝倭人条」の通称です。魏志倭人伝については、「全部で約2000文字、現代の400字詰め原稿用紙にしてわずか約5枚の文章」などとその短さ加減がよく言われますが、しかし、他の東方諸国、高句麗や馬韓などについて書かれた条に比べれば最も長い、ということも同時に言っておく必要があるでしょう。著者は珍寿という西晋の官僚で、魏志倭人伝についてはすべては伝聞でこれを書きました。本文の中でちゃんと、「参問」による、と断っています。

 美術史を専門とする歴史学者・田中英道東北大名誉教授は近年、邪馬台国、卑弥呼、ともに非・存在つまり、「そんなものはなかったし、いなかった」の立場で論文・著書を発表しています。論の発端は「なぜ、卑弥呼神社は存在しないのか?」です。実は卑弥呼神社は鹿児島霧島市隼人にたったひとつだけ存在します。郷土史研究家が昭和57年、1982年に建てた神社です。


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