『日本のマンガ家 畑中純』
監修・発行人 清水正(日本大学芸術学部教授・図書館長)
発行 日本大学芸術学部図書館
発行日 2016年8月15日
66ページ~72ページ「月子はローマ神話のディアーナか?~大常識人・畑中純のユートピア~」
2012年の畑中純の急逝に際して、追悼の文章が様々な場所で書かれた。ブログ、SNS等個人発信のネットツールもすでに隆盛していた時期だから、その数はおよそ知れない。中に、とある個人ブログで哀悼の意とともに月子とローマ神話の月の女神・ディアーナとの共通に触れている方がおられた。
マンサンコミックス『まんだら屋の良太』第52巻の表紙は、主要女性登場人物が湯浴みする群像の絵になっている。乳房は細部まであらわだ。前出のブログ主はこの表紙絵と18世紀フランスの画家、フランソワ・ブーシェの作品『ディアーナの水浴』との類似点を語っている。
ブーシェはロココ絵画の第一人者で、神話画を得意とした。ディアーナはギリシア神話ではアルテミスにあたる。狩猟の女神であり、アポローンの双子の妹、オリュムポス12神のひとり。従ってゼウスの娘だ。ディアーナを英語読みするとダイアナとなる。
ロココ特有の柔らかい曲線の集合で構成された『ディアーナの水浴』は、全裸となって脚を組んで腰かけるディアーナに、こちらもまた全裸のニンフがひとり世話につき、水浴を始めようとするところを描く。背後には犬が2匹いる。水浴はまず足から始まろうとして、ニンフはディアーナの左足先を見つめ、従って観る者の視線も自然にディアーナの足先に集まるようにできている。同じ登場人物、同じモチーフの絵をフェルメールも描いていて、こちらは左足先をひとりのニンフが実際に洗う。ただし、フェルメールの絵は着衣している。
キリスト教の宗教画では、足を洗うという行為は純潔の象徴にあたる。ギリシア神話のアルテミスもローマ神話のディアーナも狩猟の女神であると同時に貞潔の女神だった。イスラム世界から領土を失地回復した15世紀末以降、西欧美術では西欧自身の文化起源の追求と復興を睨んだルネッサンス思想をもとにギリシア神話のモチーフを扱うことがブームとなる。そこには必ず、キリスト教的寓意が時代を遡及して、つまり歴史を無視して仕込まれる。
月子が作品設定上、処女で通されていることは周知の通りであり、前出ブログ主は絵のモチーフとともに、この点の共通性も指摘する。マンサンコミックス『まんだら屋の良太』第52巻の表紙には、『ディアーナの水浴』のディアーナのポーズがそのまま反転されたかたちの人物も描かれているが、ただし、この人物は「『まんだら屋の良太』前期選集あとがき(1989年)」によれば“セックスを暗く引き受けてもらっている”直美である。月子は左半分の中央にいて観る者に視線をおき、わずかに微笑んでいる。
畑中純の博学をもってすればブーシェの『ディアーナの水浴』を知っていたことは間違いないことだろうが、では実際にこれを意識して第52巻の表紙を作成したかどうかは記録に見つからず、わからない。他者に思いやり深いことに畑中純はその文章作品を『私 まるごとエッセイ』(交遊社 2008年)に正味440ページ強にわたってまとめて残してくれている。しかし、月子の名前については同じく「『まんだら屋の良太』前期選集あとがき」に<月子の名字は秋川渓谷から採っている。最近は宮崎勤で有名になってしまい残念だ。>とあるくらいだ。前出ブログ主はこれらについてのことを的確に書いておられる。アクセス数も多い、たいへん人気の高いブログだということである。
畑中純にとってマンガは<印刷を媒体とした手書きの総合作業と位置づけ「快感」「物語」「批評」の融合を夢見ていて、笑いを重要素と考えている>(私的マンガ論 中年マンガ家の生活と意見 2004年)というものだ。一般的な認知も、また自身の認識も畑中純の仕事といえば当然マンガが上位に位置するだろうが、氏が世に発表した作物のうち、文章のみで表現された「批評」もとうてい見逃すことはできない。『私 まるごとエッセイ』はエッセイと副題されてはいるものの、その中身はきわめて硬質な社会あるいは人間批評となっている文章が多い。氏に言わせれば下位に位置する「批評」の作業が結晶となって私たちの目の前に転がり出た、装丁以外絵無しの一冊である。
そして、氏の思惑からは大いにはずれ、氏の文章のみで表現された「批評」は、マンガと並列して存在する、まったく独立した価値となっている。読む者によってはマンガ以上に刺激されるのではないか。どれくらいの量であったのかはわからないが、畑中純の文章の流麗さ、緻密さと見識の高さは間違いなく氏の読書量の豊富さによっている。それともちろん、ヒットマンガ家となるまでの人生と、ヒットマンガ家となった後の人生と。
畑中純は、きわめて伝統的な方法を経由してなった教養の巨人である。「『玄海遊侠伝 三郎丸』あとがき」(1993~1996年)を読むと端的にそれがわかる。ですます調でエッセイめかして書かれてあるが、年時期と数字への執着には目を見張るものがある。たとえば、第5巻のあとがきの一部はこんな具合だ。氏の出生地である福岡県から北九州市にかけて流れる遠賀川、その河口にある芦屋という町について書いた文章である。
<昭和二十五年から二十八年までの朝鮮戦争で芦屋からの飛行は、兵員三百余万人、武器、弾薬などの物資七十万トンに及びました。明日の命が知れない米兵の落とす金で町はふくれ上がりました。動乱勃発時には、二ヶ月で“ハウス”が四百戸、米兵相手の女以外の日本人オフ・リミットの飲食店が二十四軒建ち並んだそうです。“女”は三千人という記録があります。三十六年に自衛隊航空基地となって遠賀のアメリカは無くなりました。>
「魔の山」と題された民俗学者・山口昌男についての文章(2002年)で氏は、<歴史学は、該博な知識と大胆な仮説と繊細な実証と語りの匠とを駆使できる人のものだ。>と言う。そしてさらに理想的な歴史学者について、<指導者の苦悩と庶民の逞しさに同時に目の届く人がいい。もっというと、高尚な志と貧、病、争やエロ、グロ、ナンセンスまで素手で掴んで動じない人がいい。さらに、なんといっても醍醐味は人間の関係の妙だから、縦糸と横糸とを自在に編み込まなければ生きた歴史にはならないのだ。>と言い、そのうえで<私は文学史から入っていったが、今や近代史は趣味の一つになりつつある。>と言うのである。まず、史実と資料に忠実であるということから始める、その態度に対して畑中純は大いに敬意を払う。
そして、気づかされるのは、前述の歴史学についての所見は、そのまま畑中純のマンガについての所見と一致するということだ。若い頃はそのいい読者ではなかったというジョージ秋山について、氏は、<美男、美女とはいえない人々が、なにか企み、蠢いているところに「真実」を感じ、女の尻、脚、足を堂々見据えた眼に、下品を突き抜けた「正直」を感じる。肉体を描かないことには精神も描けないよ、といわれている気がするし、大いに賛同もする。>(話題の本を読む ジョージ秋山『捨てがたき人々』 1998年)と言っている。そして、次のような結論に至るのである。
<マンガは、小説の心理の深み、物語の豊饒、映画の表現の幅まで手に入れた。元来、日本人は発明、発見よりも工夫に能力を発揮してきた民族ではなかったか。大きな資本投下のいらない、個人の微に入り細をうがった手仕事であるマンガこそ、日本人によく合った作業の一つだったようだ。世界に誇れる戦後日本文化は何かと問われれば、マンガ、カラオケ、年功序列に終身雇用だと、私は思っている。>(MANGAの時代 世界に共通する喜怒哀楽 2005年)
乱暴だが、この文章に社会・人間・歴史についての畑中純のすべての分析と批評のエッセンスがあると言っていい。『私 まるごとエッセイ』にまとめられた氏の文章はすべて、このエッセンスを具体的に説明し、展開したものだと言っても間違いはないだろう。逆を言えば、氏の文章のすべてはこの結論に行きつく。
畑中純は、自身が描くマンガについて次のように言う。
<ボクにとっての“なぜ描くのか”はユートピアの創造と生命の発露>(『まんだら屋の良太』前期選集あとがき 1989年)
畑中純におけるユートピアのうちのひとつは、周知の通り、九鬼谷温泉として具象化されている。この、氏亡き後もおそらくはどこかで造成中のユートピアについて氏はこう言っている。
<子供と大人の中間に居る十七才の月子と良太に温泉に出入りする様々な人達や中心と周縁、組織と個人、定住と漂泊、善と悪、ハレとケ、上半身と下半身、近代と反近代、男と女など関係性の諸問題を眺めさせ、考えている。愚者の楽園である。長年描き継いできて、ある時、自分は結局、普通とか常識とかから、やや逸脱した人々の理想郷を造っているのだと気がついた。以降は、命の溌剌と理想郷造りが私のテーマだと云い続けている。>(私的マンガ論 中年マンガ家の生活と意見 2004年)
「ある時、自分は結局、普通とか常識とかから、やや逸脱した人々の理想郷を造っているのだと気がついた。」は、氏の中でなんらかの転換があったことを物語っている。その内容は次のようなことだ。
<ボクは永らく賢治さんの初期作品を愛し、教職退職後の祈りの強い作品を避けてきました。羅須地人会の目的が重く窮屈だったのです。若き日には「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という正しすぎる言葉に、不幸が無くなれば幸福も無いだろうし、そんな時が来れば人類は終わりだ、などと反ぱつしたりもしました。
現在のボクは、そう願うことは間違ってないし、努力する過程に正義がある、と素直に受け止めています。
そうして、やっとボクも、銀河鉄道の乗客の一人になれた気がします。>(『宮沢賢治、銀河へ』あとがき 1996年)
けれども、やはり畑中純はユートピアの実在を懐疑する。
<ユートピアというものは、やはり空想と夢だ。頭の中の理想に明確な線引きはできない。従って期限というものは、無い。正しいと思った方向に進む持続する志と運動の連続性の中にユートピアは存在する。>(『理想郷』 2002年)
そして、「以降は、命の溌剌と理想郷造りが私のテーマだと云い続けている。」にあたる氏の具体的作業は次の通りだった。
<私は現在『美し村』というタイトルで(『美しい村』で当初考えたが、これは堀辰雄にある)理想郷造りを企画立案中である。といっても青写真通りには行かないから、描きながら育てるしかない。スタートの機をうかがっているといったらいいだろうか。今なお建設中の九鬼谷温泉(『まんだら屋の良太』として五十三巻があり、二〇〇二年からは『月子まんだら』として再スタート)はお湯という資金源があって成立した村だ。『美し村』では、生産と勉強をゼロから目指す若者たちの困難と歓喜を丁寧に描きついでいくつもりだ。収穫祭を祝う日を夢みながら。>(同)
では、『月子まんだら』として建設が再スタートした九鬼谷温泉というユートピアはどうなっただろうか。次の文章は、前記文章から3年後のものである。
<『月子まんだら』に年齢が反映している。不景気で低迷した温泉を若女将が再生する物語。と、通し易い企画で出発したが、実は、五十歳を過ぎたオッサンに若者の苦悩など興味は無い。
(中略)
マンガ家としての幕引きの準備。といってもなるようにしかならないのが人生だから、構えていても仕方がない。ただ、死を意識していい時にはなった。後がないという実感。デビュー前の焦りにも似た感覚。達観と諦観の混ざった瀬戸際の正直。そうだ、正直こそ命だ。正直に心をのぞいてみると、戦争放棄、恒久平和、差別の無い明るい社会、地球環境に優しい生活、などのスローガンは、どうでもいい。ウソだ。キレイ事だ。そんなものはどこにも無い、と思う。神様でもないのに、地球の未来を、私ごとき、おまえごときが心配しなくていい。
魔羅萎男となる前に、私にはやることがある。生ある限り『まんだら屋の良太』を描き続けることにしよう。>(『月子まんだら』あとがき 2005年)
畑中純は、<愚者の楽園>に立ち戻っている。<子供と大人の中間に居る十七才の月子と良太に温泉に出入りする様々な人達や中心と周縁、組織と個人、定住と漂泊、善と悪、ハレとケ、上半身と下半身、近代と反近代、男と女など関係性の諸問題を眺めさせ、考えている。>を、ここに「正直」があるとして再開しているのである。「『月子まんだら』あとがき」では、<喪失感いっぱいの中高年が、ささやかな最後のステージを、得心のいく自分の場所を求め、あがいている姿に、私はたっぷりの思い入れを注ぎ込んでいる。まだまだ、かろうじてだが勃起することに熱い生命を感じているのだ。>とも言っている。
そしてここに、畑中純の思想においてきわめて重要だと思われるキーワードがあるのだ。「関係性」がそれである。関係あるいは関係性、また、それに関わる内容は、次のように頻繁に書かれてきた。
<人間はやはり人間が一番面白い。人と物、人と事件、人と人との関係を眺め、切ったり繋いだりしているとおのずと個人像は浮かび上がってくるものだ。だから関係そのものが面白い。>(幻温泉 1985年)
<対人関係抜きに個人の実存は有り得ないという観点や共同体の成り立ちは、ボクの最も大きな課題になってきたし、創作の衝動もしくは結論は、命の発露だとしか言いようがないと、今の所のボクは思っている。>(伊藤整氏とボク 1985年)
<社会があって個人が在る。個人が無くては社会も無い‐。この“当たり前”を描こうとしております。>(奥多摩 1986年)
<個体と全体、微視的と巨視的が同じ比重でなければ人間の全部は描けないと思います。二元論のバランス感覚では見る側に邪魔になることも知ってますが、個人をとり巻く環境も十分に匂い立たねば納得できないのです。>(『まんだら屋の良太』前期選集あとがき 1989年)
<物質だけでは豊かになれないと証明されてしまった現代にあって、最も必要なのは、積極的な生産の現場と、人間同士の濃い関わり合いではないでしょうか。関係性の中から紡ぎ出される喜びを共有し、戦いから生まれてくる命の溌剌を、強く、深く味わいましょうよ。>(『まんだら屋の良太』後期選集あとがき 1995年)
<目で見ている対象から教養や思想を問われているのです。旅人が旅先を品定めしているのではなく、今立っている地点からボクやアナタが計られているのです。>(『版画まんだら』抄 観光 1999年)
<夫婦、家族、地域、国家、どこまで意識下に置くかは自由だが、個人と集団の関係構造から無縁でいられないのが人間だ。いかなる個人主義者、エゴイストも社会がなければ、その色さえ分からない。>(結婚式ラッシュの秋に「殺人」と「共同体」を考える 蜂巣敦『「八つ墓村」は存在する』 2005年)
<組織からはみ出した人に肩入れすることが多い。一方で共同体や理想郷に興味を持ち続けているのは、一人ぽっちの『野良犬』ではなにも出来ない、というジレンマが付いて回っているからだ。>(『極道モン』あとがき 2005年)
<私自身、ただの我がままを排除し、約三十年間のマンガ創作活動を通じて、折にふれ“社会化された私”や“変型私マンガ”を考慮してきました。テーマの一ツでもあったわけです。(中略)
実際自分にしか興味が無くなりつつあります。といっても、他者がいらない、という意味ではありません。他者、対象物に照射された自己が見え易くなってきました。たくさんの人や色んなことに生かされて私がある、と素直に言えるようになりました。>(『私 まるごとエッセイ』 ~本当のあとがき~ 2008年)
世界は関係で成立している。畑中純のこの世界観は、日本古来の存在論であり哲学である。18世紀日本の文献学者・本居宣長は、源氏物語から「もののあはれ」という概念を発明した。「もののあはれ」の「もの」はどう解釈したところで存在という意味に他ならず、「もののあはれ」とは、存在についてのあれこれ、つまりは存在論という意味である。一般的に解釈される、何かしみじみとしたほの哀しさ、は狭義の「もののあはれ」に過ぎない。
宣長がなぜ源氏物語から「もののあはれ」を発明したか、あるいは発明できたかといえば、源氏物語が小説などではなく、その成立のそもそもが、世間を経験しようのない宮中の姫に、世界はこうしてできていると教えるために女房が読み聞かせる教育用台本だったからである。世界はこうしてできていると教えるために書かれたものが存在論でないはずがなく、哲学書でないはずがない。
源氏物語の登場人物はおしなべて、自分から発する心情ではなく、すべて人と人との関係をもってありさまを語る。いちいちの物言いがまわりくどくて言い訳がましく、他人事のように聞こえるのはそのためだが、当人にはそんなつもりはない。作者とされる紫式部および登場人物にとって、そういうふうにしか世界はできていないのだ。自分というものがまずそこにあって自分から何かが生じるのではなく、関係というものが揺らぎながら動いていくことで自分というものは生じ、自分の心情というものができあがっていく、と考えているのである。源氏物語に書かれているのは、世界は関係で成立している、という存在論に他ならない。
宣長はこの、関係がゆらぎながら動いていくその様を指して「もののあはれ」という用語を作って呼び、源氏物語の「もののあはれ」が日本古来の存在論である可能性を直感した。きっかけは直感だが追求方法は実証科学的方法そのもので、宣長は「もののあはれ」の源泉を古事記に求め、「古事記伝」を完成させる。宣長が文献学者と呼ばれるのはそのためだ。神話は、その神話をもつ民族が古来長い時間をかけてまとめあげてきた世界観に他ならず、世界観とは存在論に他ならない。
古事記において、日本の神々のありようはどうだろうか。支配神はいない。神々の間に権力闘争もない。国産みの神話で、イザナギイザナミは、ヒルコばかりができて悩んだときにどうしたかといえば、アマツカミに相談に行くのである。相談されたアマツカミはどうしたかというと、占いをするのだ。占いをするということは、自分は決めないということに他ならない。自らの上位に、従うべき何かが綿々とあるとアマツカミでさえそう考え、意思を発動しないのである。
日本の神々は、最高神は誰かとか、ルールは誰が決めるのかといったことに興味はない。関係の中に自分がある、関係がなければ自分はないという世界観で暮らしており、すなわちこれが日本古来の存在論なのだ。
これは、ギリシア・ローマ神話的世界観、キリスト教的世界観と決定的に異なる。ローマ神話ではユピテルと名が変わるが、最高神ゼウスの意思の物語がギリシア神話であり、ゼウス神君臨以前は最高神の座をめぐる権力闘争の物語である。キリスト教においては唯一絶対神の意思で世界はできあがり、はじめにあった「言葉」というもので世界はいかようにも変えることができる。言葉は科学と同義であり、西欧世界の科学万能イデオロギーはここから来る。
<キリスト教を元にしたユートピアの最上の形が空想的共産主義にとどまり、儒教圏仏教圏の桃源郷が現実から逃避して迷い込んだ一炊の夢にすぎない、と説かれようと、過去に実行された例は無数にある(ほぼ同数失敗しているのだが)し、理想郷を求めることは悪くない。理想に向かって努力するから人間には価値があるのだから。>(『理想郷』 2002年)
畑中純がそう言うとき、氏は「キリスト教を元にしたユートピア」が「最上の形」とならないことを知っている。
<テーマ主義や脳と社会の構造分析や認識力や方法論の先行は、創作に限っては天然自然発生的な(もしくは自然にまで昇華された高度な)表現に勝てないのだ。いつの時代でも造り物は生に負けることがあるし、「識ること」と「作ること」は必ずしも喜ばしい一致をしない。それを私は、私の師であり、批評能力が有りすぎる作家であった伊藤整の悪戦苦闘ぶりを見て知った。マルクス主義文学とモダニズム文学と現代絵画の、ほぼ惨敗ぶりを見て学習した。表現で感心させることは容易だが感動させることは難しいのだ。>(魔の山 2002年)
畑中純がそう言うとき、氏の世界観は日本古来の世界観そのものだ。日本の伝統そのものであり、従って氏は、次のようなことをあっさりと言う大の常識人である。
<森の元気は海の健康、それはそのまま人の幸せなのです。(中略)そう願いつつも、森林の伐採、堰の建設から核実験に至るまで、様々な反対運動の誘いを、ボクは今日まで断り続けてきました。これからも多分そうします。
集団になった時のヒステリーや、情熱に付いて回る移り気が厭なのです。反対すること自体が目的になってしまったりすると、たとえば用の無いダム建設が利権のためだけに進行することと、どっちが愚行か分からないくらい見苦しくなります。>(森の元気は人の幸せ 『ミミズク通信』あとがき 1996年)
<私は「自由、平等、博愛」は人類永遠の見果てぬ夢だと思っている。永久にスローガンにしなければいけない、と思っている。人の心は善も悪も同居し、悪もまた大切な要素である。だから人間は面白い、と思っている。>(『理想郷』 2002年)
<反逆、反抗程度ならば共感しにくい年齢になってしまった。時代の水準に届かずやむなく反逆、拒絶されていたしかたなく新機軸で打ち死ぬ場合がほとんどだ。求めているのは真の改革者だ。真の改革者が居るとすれば、そういう人物は早めに退くべきだ。(中略)地味だが強情、極悪人なれど辣腕、堅実の権化、そんな人物が後始末から制度の準備をすればよい。>(『理想郷』 2002年)
<私の場合残っているエネルギーの全部を紙の上の理想郷造りにつぎ込むだろう。(中略)影のない善意と歓喜が花園で同衾しているようなパラダイスは想像しないでもらいたい。どんな社会でも欲望との戦いの現場なのだから。欲望と一ツ一ツ向き合いながら、生産活動と文化活動と体育活動と、もうひとつ宗教活動とが調和していく村を夢みているわけだ。>(私的マンガ論 中年マンガ家の生活と意見 2004年)
畑中純はこれ以上ないくらい伝統的な日本人である。つまり、月子がローマ神話のディアーナであることはあらかじめ不可能なのだ。