月子はローマ神話のディアーナか?~大常識人・畑中純のユートピア~/『日本のマンガ家 畑中純』発行・日本大学芸術学部図書館

『日本のマンガ家 畑中純』
監修・発行人 清水正(日本大学芸術学部教授・図書館長)
発行 日本大学芸術学部図書館
発行日 2016年8月15日

66ページ~72ページ「月子はローマ神話のディアーナか?~大常識人・畑中純のユートピア~」

 2012年の畑中純の急逝に際して、追悼の文章が様々な場所で書かれた。ブログ、SNS等個人発信のネットツールもすでに隆盛していた時期だから、その数はおよそ知れない。中に、とある個人ブログで哀悼の意とともに月子とローマ神話の月の女神・ディアーナとの共通に触れている方がおられた。

 マンサンコミックス『まんだら屋の良太』第52巻の表紙は、主要女性登場人物が湯浴みする群像の絵になっている。乳房は細部まであらわだ。前出のブログ主はこの表紙絵と18世紀フランスの画家、フランソワ・ブーシェの作品『ディアーナの水浴』との類似点を語っている。

 ブーシェはロココ絵画の第一人者で、神話画を得意とした。ディアーナはギリシア神話ではアルテミスにあたる。狩猟の女神であり、アポローンの双子の妹、オリュムポス12神のひとり。従ってゼウスの娘だ。ディアーナを英語読みするとダイアナとなる。

 ロココ特有の柔らかい曲線の集合で構成された『ディアーナの水浴』は、全裸となって脚を組んで腰かけるディアーナに、こちらもまた全裸のニンフがひとり世話につき、水浴を始めようとするところを描く。背後には犬が2匹いる。水浴はまず足から始まろうとして、ニンフはディアーナの左足先を見つめ、従って観る者の視線も自然にディアーナの足先に集まるようにできている。同じ登場人物、同じモチーフの絵をフェルメールも描いていて、こちらは左足先をひとりのニンフが実際に洗う。ただし、フェルメールの絵は着衣している。

 キリスト教の宗教画では、足を洗うという行為は純潔の象徴にあたる。ギリシア神話のアルテミスもローマ神話のディアーナも狩猟の女神であると同時に貞潔の女神だった。イスラム世界から領土を失地回復した15世紀末以降、西欧美術では西欧自身の文化起源の追求と復興を睨んだルネッサンス思想をもとにギリシア神話のモチーフを扱うことがブームとなる。そこには必ず、キリスト教的寓意が時代を遡及して、つまり歴史を無視して仕込まれる。

 月子が作品設定上、処女で通されていることは周知の通りであり、前出ブログ主は絵のモチーフとともに、この点の共通性も指摘する。マンサンコミックス『まんだら屋の良太』第52巻の表紙には、『ディアーナの水浴』のディアーナのポーズがそのまま反転されたかたちの人物も描かれているが、ただし、この人物は「『まんだら屋の良太』前期選集あとがき(1989年)」によれば“セックスを暗く引き受けてもらっている”直美である。月子は左半分の中央にいて観る者に視線をおき、わずかに微笑んでいる。

 畑中純の博学をもってすればブーシェの『ディアーナの水浴』を知っていたことは間違いないことだろうが、では実際にこれを意識して第52巻の表紙を作成したかどうかは記録に見つからず、わからない。他者に思いやり深いことに畑中純はその文章作品を『私 まるごとエッセイ』(交遊社 2008年)に正味440ページ強にわたってまとめて残してくれている。しかし、月子の名前については同じく「『まんだら屋の良太』前期選集あとがき」に<月子の名字は秋川渓谷から採っている。最近は宮崎勤で有名になってしまい残念だ。>とあるくらいだ。前出ブログ主はこれらについてのことを的確に書いておられる。アクセス数も多い、たいへん人気の高いブログだということである。

 畑中純にとってマンガは<印刷を媒体とした手書きの総合作業と位置づけ「快感」「物語」「批評」の融合を夢見ていて、笑いを重要素と考えている>(私的マンガ論 中年マンガ家の生活と意見 2004年)というものだ。一般的な認知も、また自身の認識も畑中純の仕事といえば当然マンガが上位に位置するだろうが、氏が世に発表した作物のうち、文章のみで表現された「批評」もとうてい見逃すことはできない。『私 まるごとエッセイ』はエッセイと副題されてはいるものの、その中身はきわめて硬質な社会あるいは人間批評となっている文章が多い。氏に言わせれば下位に位置する「批評」の作業が結晶となって私たちの目の前に転がり出た、装丁以外絵無しの一冊である。

 そして、氏の思惑からは大いにはずれ、氏の文章のみで表現された「批評」は、マンガと並列して存在する、まったく独立した価値となっている。読む者によってはマンガ以上に刺激されるのではないか。どれくらいの量であったのかはわからないが、畑中純の文章の流麗さ、緻密さと見識の高さは間違いなく氏の読書量の豊富さによっている。それともちろん、ヒットマンガ家となるまでの人生と、ヒットマンガ家となった後の人生と。

 畑中純は、きわめて伝統的な方法を経由してなった教養の巨人である。「『玄海遊侠伝 三郎丸』あとがき」(1993~1996年)を読むと端的にそれがわかる。ですます調でエッセイめかして書かれてあるが、年時期と数字への執着には目を見張るものがある。たとえば、第5巻のあとがきの一部はこんな具合だ。氏の出生地である福岡県から北九州市にかけて流れる遠賀川、その河口にある芦屋という町について書いた文章である。

<昭和二十五年から二十八年までの朝鮮戦争で芦屋からの飛行は、兵員三百余万人、武器、弾薬などの物資七十万トンに及びました。明日の命が知れない米兵の落とす金で町はふくれ上がりました。動乱勃発時には、二ヶ月で“ハウス”が四百戸、米兵相手の女以外の日本人オフ・リミットの飲食店が二十四軒建ち並んだそうです。“女”は三千人という記録があります。三十六年に自衛隊航空基地となって遠賀のアメリカは無くなりました。>

「魔の山」と題された民俗学者・山口昌男についての文章(2002年)で氏は、<歴史学は、該博な知識と大胆な仮説と繊細な実証と語りの匠とを駆使できる人のものだ。>と言う。そしてさらに理想的な歴史学者について、<指導者の苦悩と庶民の逞しさに同時に目の届く人がいい。もっというと、高尚な志と貧、病、争やエロ、グロ、ナンセンスまで素手で掴んで動じない人がいい。さらに、なんといっても醍醐味は人間の関係の妙だから、縦糸と横糸とを自在に編み込まなければ生きた歴史にはならないのだ。>と言い、そのうえで<私は文学史から入っていったが、今や近代史は趣味の一つになりつつある。>と言うのである。まず、史実と資料に忠実であるということから始める、その態度に対して畑中純は大いに敬意を払う。

 そして、気づかされるのは、前述の歴史学についての所見は、そのまま畑中純のマンガについての所見と一致するということだ。若い頃はそのいい読者ではなかったというジョージ秋山について、氏は、<美男、美女とはいえない人々が、なにか企み、蠢いているところに「真実」を感じ、女の尻、脚、足を堂々見据えた眼に、下品を突き抜けた「正直」を感じる。肉体を描かないことには精神も描けないよ、といわれている気がするし、大いに賛同もする。>(話題の本を読む ジョージ秋山『捨てがたき人々』 1998年)と言っている。そして、次のような結論に至るのである。

<マンガは、小説の心理の深み、物語の豊饒、映画の表現の幅まで手に入れた。元来、日本人は発明、発見よりも工夫に能力を発揮してきた民族ではなかったか。大きな資本投下のいらない、個人の微に入り細をうがった手仕事であるマンガこそ、日本人によく合った作業の一つだったようだ。世界に誇れる戦後日本文化は何かと問われれば、マンガ、カラオケ、年功序列に終身雇用だと、私は思っている。>(MANGAの時代 世界に共通する喜怒哀楽 2005年)

 乱暴だが、この文章に社会・人間・歴史についての畑中純のすべての分析と批評のエッセンスがあると言っていい。『私 まるごとエッセイ』にまとめられた氏の文章はすべて、このエッセンスを具体的に説明し、展開したものだと言っても間違いはないだろう。逆を言えば、氏の文章のすべてはこの結論に行きつく。
 畑中純は、自身が描くマンガについて次のように言う。

<ボクにとっての“なぜ描くのか”はユートピアの創造と生命の発露>(『まんだら屋の良太』前期選集あとがき 1989年)

 畑中純におけるユートピアのうちのひとつは、周知の通り、九鬼谷温泉として具象化されている。この、氏亡き後もおそらくはどこかで造成中のユートピアについて氏はこう言っている。

<子供と大人の中間に居る十七才の月子と良太に温泉に出入りする様々な人達や中心と周縁、組織と個人、定住と漂泊、善と悪、ハレとケ、上半身と下半身、近代と反近代、男と女など関係性の諸問題を眺めさせ、考えている。愚者の楽園である。長年描き継いできて、ある時、自分は結局、普通とか常識とかから、やや逸脱した人々の理想郷を造っているのだと気がついた。以降は、命の溌剌と理想郷造りが私のテーマだと云い続けている。>(私的マンガ論 中年マンガ家の生活と意見 2004年)

「ある時、自分は結局、普通とか常識とかから、やや逸脱した人々の理想郷を造っているのだと気がついた。」は、氏の中でなんらかの転換があったことを物語っている。その内容は次のようなことだ。

<ボクは永らく賢治さんの初期作品を愛し、教職退職後の祈りの強い作品を避けてきました。羅須地人会の目的が重く窮屈だったのです。若き日には「世界がぜんたい幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない」という正しすぎる言葉に、不幸が無くなれば幸福も無いだろうし、そんな時が来れば人類は終わりだ、などと反ぱつしたりもしました。
 現在のボクは、そう願うことは間違ってないし、努力する過程に正義がある、と素直に受け止めています。
 そうして、やっとボクも、銀河鉄道の乗客の一人になれた気がします。>(『宮沢賢治、銀河へ』あとがき 1996年)

 けれども、やはり畑中純はユートピアの実在を懐疑する。

<ユートピアというものは、やはり空想と夢だ。頭の中の理想に明確な線引きはできない。従って期限というものは、無い。正しいと思った方向に進む持続する志と運動の連続性の中にユートピアは存在する。>(『理想郷』 2002年)

 そして、「以降は、命の溌剌と理想郷造りが私のテーマだと云い続けている。」にあたる氏の具体的作業は次の通りだった。

<私は現在『美し村』というタイトルで(『美しい村』で当初考えたが、これは堀辰雄にある)理想郷造りを企画立案中である。といっても青写真通りには行かないから、描きながら育てるしかない。スタートの機をうかがっているといったらいいだろうか。今なお建設中の九鬼谷温泉(『まんだら屋の良太』として五十三巻があり、二〇〇二年からは『月子まんだら』として再スタート)はお湯という資金源があって成立した村だ。『美し村』では、生産と勉強をゼロから目指す若者たちの困難と歓喜を丁寧に描きついでいくつもりだ。収穫祭を祝う日を夢みながら。>(同)

 では、『月子まんだら』として建設が再スタートした九鬼谷温泉というユートピアはどうなっただろうか。次の文章は、前記文章から3年後のものである。

<『月子まんだら』に年齢が反映している。不景気で低迷した温泉を若女将が再生する物語。と、通し易い企画で出発したが、実は、五十歳を過ぎたオッサンに若者の苦悩など興味は無い。
(中略)
 マンガ家としての幕引きの準備。といってもなるようにしかならないのが人生だから、構えていても仕方がない。ただ、死を意識していい時にはなった。後がないという実感。デビュー前の焦りにも似た感覚。達観と諦観の混ざった瀬戸際の正直。そうだ、正直こそ命だ。正直に心をのぞいてみると、戦争放棄、恒久平和、差別の無い明るい社会、地球環境に優しい生活、などのスローガンは、どうでもいい。ウソだ。キレイ事だ。そんなものはどこにも無い、と思う。神様でもないのに、地球の未来を、私ごとき、おまえごときが心配しなくていい。
 魔羅萎男となる前に、私にはやることがある。生ある限り『まんだら屋の良太』を描き続けることにしよう。>(『月子まんだら』あとがき 2005年)

 畑中純は、<愚者の楽園>に立ち戻っている。<子供と大人の中間に居る十七才の月子と良太に温泉に出入りする様々な人達や中心と周縁、組織と個人、定住と漂泊、善と悪、ハレとケ、上半身と下半身、近代と反近代、男と女など関係性の諸問題を眺めさせ、考えている。>を、ここに「正直」があるとして再開しているのである。「『月子まんだら』あとがき」では、<喪失感いっぱいの中高年が、ささやかな最後のステージを、得心のいく自分の場所を求め、あがいている姿に、私はたっぷりの思い入れを注ぎ込んでいる。まだまだ、かろうじてだが勃起することに熱い生命を感じているのだ。>とも言っている。
 そしてここに、畑中純の思想においてきわめて重要だと思われるキーワードがあるのだ。「関係性」がそれである。関係あるいは関係性、また、それに関わる内容は、次のように頻繁に書かれてきた。

<人間はやはり人間が一番面白い。人と物、人と事件、人と人との関係を眺め、切ったり繋いだりしているとおのずと個人像は浮かび上がってくるものだ。だから関係そのものが面白い。>(幻温泉 1985年)

<対人関係抜きに個人の実存は有り得ないという観点や共同体の成り立ちは、ボクの最も大きな課題になってきたし、創作の衝動もしくは結論は、命の発露だとしか言いようがないと、今の所のボクは思っている。>(伊藤整氏とボク 1985年)

<社会があって個人が在る。個人が無くては社会も無い‐。この“当たり前”を描こうとしております。>(奥多摩 1986年)

<個体と全体、微視的と巨視的が同じ比重でなければ人間の全部は描けないと思います。二元論のバランス感覚では見る側に邪魔になることも知ってますが、個人をとり巻く環境も十分に匂い立たねば納得できないのです。>(『まんだら屋の良太』前期選集あとがき 1989年)

<物質だけでは豊かになれないと証明されてしまった現代にあって、最も必要なのは、積極的な生産の現場と、人間同士の濃い関わり合いではないでしょうか。関係性の中から紡ぎ出される喜びを共有し、戦いから生まれてくる命の溌剌を、強く、深く味わいましょうよ。>(『まんだら屋の良太』後期選集あとがき 1995年)

<目で見ている対象から教養や思想を問われているのです。旅人が旅先を品定めしているのではなく、今立っている地点からボクやアナタが計られているのです。>(『版画まんだら』抄 観光 1999年)

<夫婦、家族、地域、国家、どこまで意識下に置くかは自由だが、個人と集団の関係構造から無縁でいられないのが人間だ。いかなる個人主義者、エゴイストも社会がなければ、その色さえ分からない。>(結婚式ラッシュの秋に「殺人」と「共同体」を考える 蜂巣敦『「八つ墓村」は存在する』 2005年)

<組織からはみ出した人に肩入れすることが多い。一方で共同体や理想郷に興味を持ち続けているのは、一人ぽっちの『野良犬』ではなにも出来ない、というジレンマが付いて回っているからだ。>(『極道モン』あとがき 2005年)

<私自身、ただの我がままを排除し、約三十年間のマンガ創作活動を通じて、折にふれ“社会化された私”や“変型私マンガ”を考慮してきました。テーマの一ツでもあったわけです。(中略)
 実際自分にしか興味が無くなりつつあります。といっても、他者がいらない、という意味ではありません。他者、対象物に照射された自己が見え易くなってきました。たくさんの人や色んなことに生かされて私がある、と素直に言えるようになりました。>(『私 まるごとエッセイ』 ~本当のあとがき~ 2008年)

 世界は関係で成立している。畑中純のこの世界観は、日本古来の存在論であり哲学である。18世紀日本の文献学者・本居宣長は、源氏物語から「もののあはれ」という概念を発明した。「もののあはれ」の「もの」はどう解釈したところで存在という意味に他ならず、「もののあはれ」とは、存在についてのあれこれ、つまりは存在論という意味である。一般的に解釈される、何かしみじみとしたほの哀しさ、は狭義の「もののあはれ」に過ぎない。

 宣長がなぜ源氏物語から「もののあはれ」を発明したか、あるいは発明できたかといえば、源氏物語が小説などではなく、その成立のそもそもが、世間を経験しようのない宮中の姫に、世界はこうしてできていると教えるために女房が読み聞かせる教育用台本だったからである。世界はこうしてできていると教えるために書かれたものが存在論でないはずがなく、哲学書でないはずがない。

 源氏物語の登場人物はおしなべて、自分から発する心情ではなく、すべて人と人との関係をもってありさまを語る。いちいちの物言いがまわりくどくて言い訳がましく、他人事のように聞こえるのはそのためだが、当人にはそんなつもりはない。作者とされる紫式部および登場人物にとって、そういうふうにしか世界はできていないのだ。自分というものがまずそこにあって自分から何かが生じるのではなく、関係というものが揺らぎながら動いていくことで自分というものは生じ、自分の心情というものができあがっていく、と考えているのである。源氏物語に書かれているのは、世界は関係で成立している、という存在論に他ならない。

 宣長はこの、関係がゆらぎながら動いていくその様を指して「もののあはれ」という用語を作って呼び、源氏物語の「もののあはれ」が日本古来の存在論である可能性を直感した。きっかけは直感だが追求方法は実証科学的方法そのもので、宣長は「もののあはれ」の源泉を古事記に求め、「古事記伝」を完成させる。宣長が文献学者と呼ばれるのはそのためだ。神話は、その神話をもつ民族が古来長い時間をかけてまとめあげてきた世界観に他ならず、世界観とは存在論に他ならない。

 古事記において、日本の神々のありようはどうだろうか。支配神はいない。神々の間に権力闘争もない。国産みの神話で、イザナギイザナミは、ヒルコばかりができて悩んだときにどうしたかといえば、アマツカミに相談に行くのである。相談されたアマツカミはどうしたかというと、占いをするのだ。占いをするということは、自分は決めないということに他ならない。自らの上位に、従うべき何かが綿々とあるとアマツカミでさえそう考え、意思を発動しないのである。

 日本の神々は、最高神は誰かとか、ルールは誰が決めるのかといったことに興味はない。関係の中に自分がある、関係がなければ自分はないという世界観で暮らしており、すなわちこれが日本古来の存在論なのだ。

 これは、ギリシア・ローマ神話的世界観、キリスト教的世界観と決定的に異なる。ローマ神話ではユピテルと名が変わるが、最高神ゼウスの意思の物語がギリシア神話であり、ゼウス神君臨以前は最高神の座をめぐる権力闘争の物語である。キリスト教においては唯一絶対神の意思で世界はできあがり、はじめにあった「言葉」というもので世界はいかようにも変えることができる。言葉は科学と同義であり、西欧世界の科学万能イデオロギーはここから来る。

<キリスト教を元にしたユートピアの最上の形が空想的共産主義にとどまり、儒教圏仏教圏の桃源郷が現実から逃避して迷い込んだ一炊の夢にすぎない、と説かれようと、過去に実行された例は無数にある(ほぼ同数失敗しているのだが)し、理想郷を求めることは悪くない。理想に向かって努力するから人間には価値があるのだから。>(『理想郷』 2002年)

 畑中純がそう言うとき、氏は「キリスト教を元にしたユートピア」が「最上の形」とならないことを知っている。

<テーマ主義や脳と社会の構造分析や認識力や方法論の先行は、創作に限っては天然自然発生的な(もしくは自然にまで昇華された高度な)表現に勝てないのだ。いつの時代でも造り物は生に負けることがあるし、「識ること」と「作ること」は必ずしも喜ばしい一致をしない。それを私は、私の師であり、批評能力が有りすぎる作家であった伊藤整の悪戦苦闘ぶりを見て知った。マルクス主義文学とモダニズム文学と現代絵画の、ほぼ惨敗ぶりを見て学習した。表現で感心させることは容易だが感動させることは難しいのだ。>(魔の山 2002年)

 畑中純がそう言うとき、氏の世界観は日本古来の世界観そのものだ。日本の伝統そのものであり、従って氏は、次のようなことをあっさりと言う大の常識人である。

<森の元気は海の健康、それはそのまま人の幸せなのです。(中略)そう願いつつも、森林の伐採、堰の建設から核実験に至るまで、様々な反対運動の誘いを、ボクは今日まで断り続けてきました。これからも多分そうします。
 集団になった時のヒステリーや、情熱に付いて回る移り気が厭なのです。反対すること自体が目的になってしまったりすると、たとえば用の無いダム建設が利権のためだけに進行することと、どっちが愚行か分からないくらい見苦しくなります。>(森の元気は人の幸せ 『ミミズク通信』あとがき 1996年)

<私は「自由、平等、博愛」は人類永遠の見果てぬ夢だと思っている。永久にスローガンにしなければいけない、と思っている。人の心は善も悪も同居し、悪もまた大切な要素である。だから人間は面白い、と思っている。>(『理想郷』 2002年)

<反逆、反抗程度ならば共感しにくい年齢になってしまった。時代の水準に届かずやむなく反逆、拒絶されていたしかたなく新機軸で打ち死ぬ場合がほとんどだ。求めているのは真の改革者だ。真の改革者が居るとすれば、そういう人物は早めに退くべきだ。(中略)地味だが強情、極悪人なれど辣腕、堅実の権化、そんな人物が後始末から制度の準備をすればよい。>(『理想郷』 2002年)

<私の場合残っているエネルギーの全部を紙の上の理想郷造りにつぎ込むだろう。(中略)影のない善意と歓喜が花園で同衾しているようなパラダイスは想像しないでもらいたい。どんな社会でも欲望との戦いの現場なのだから。欲望と一ツ一ツ向き合いながら、生産活動と文化活動と体育活動と、もうひとつ宗教活動とが調和していく村を夢みているわけだ。>(私的マンガ論 中年マンガ家の生活と意見 2004年)

 畑中純はこれ以上ないくらい伝統的な日本人である。つまり、月子がローマ神話のディアーナであることはあらかじめ不可能なのだ。


がきデカ。無節操で、危うく、官能的な人々。/『わたしが魅せられた漫画』発行・日本大学芸術学部図書館

『わたしが魅せられた漫画』
監修・発行人 清水正(日本大学芸術学部教授・図書館長)
発行 日本大学芸術学部図書館
発行日 2015年9月20日

122ページ~126ページ「山上たつひこ がきデカ。無節操で、危うく、官能的な人々。」

『がきデカ』第一回「少年警察官(がきデカ)登場」は、一九七四年十月に週刊少年チャンピオン(秋田書店)に掲載された。一九七四年はルパング島で小野田寛郎元少尉が発見された年であり、志村けんがドリフターズの正式メンバーとなった年である。一九五九年生まれの私は当時中学三年生で、高校受験を控えていた。年齢相応の漫画体験であったから、『新喜劇思想体系』(一九七二~七四年)などの存在は知らず、山上たつひこの漫画を読むのは『がきデカ』が初めてだった。

 連載を開始して六年後の一九八〇年年末に『がきデカ』は終了するが、その頃の回の記憶は比較的薄い。山上たつひこを面白く思わなくなったということではなく、それどころか深入りをしてしまい、『新喜劇思想体系』に遡っておさらいをし、『光る風』の存在を知り、当然ながら全巻揃えていた『がきデカ』は繰り返し読んで頭の中をこまわりギャグのリフレインで一杯にしながら、『半田溶助女狩り』にとりわけ夢中になりつつ、「娘」という文字そのものに興奮するような、そういう山上たつひこが読みたい盛りであったから、『がきデカ』と並行して他少年漫画誌に連載された『あるぷす犬坊』や『スタミナサラダ』は、読みはしたもののそれほど惹かれることはなかった。

『がきデカ』の連載終了期前後、最も衝撃を受け、山上たつひこを読んでいてよかったと感じたのは、「イボグリくん」が登場する作品群である。漫画アクション増刊に掲載された一連の作品は一九八二年に『イボグリくん』のタイトルで双葉社から単行本として発売されて現在は絶版、その後、もちろん選集には収録されているが、二〇〇八年に、山上たつひこの熱狂的ファンを自認する漫画家・江口寿史が監修して小学館クリエイティブから『能登の白クマうらみのはり手』のタイトルで単行本にまとめられている。

 イボグリくんシリーズは、悪辣漢イボグリくんの、非道きわまる残虐行為の記録である。キャラクターは往年の柔道漫画『イガグリくん』(福井英一・作、一九五一~五四年「冒険王」連載)のパロディ、と言うよりもまったくそのままの容姿をし、イボグリくん自身もまた柔道をやる。そしてたとえば、清々しい青春の一ページともなるべき一騎打ちによる果し合いはイボグリくんにおいては次のようになる。ライバルの恋人を睡眠薬を使って手ごめにしたうえ写真を撮って脅迫、自殺に追い込み、果し合いの現場では、柔道技など一切交わすことなく相手を射殺する。なおも弾丸を執拗に撃ち込んでとどめを刺し、拳銃を握らせ、恋人を亡くした失意による自殺に見せかける。ラストのコマは夕焼けで、伸びをしながら言うイボグリくんのセリフは「明日はきっと日本晴れだぞ」だ。そもそもが「きもちの良い朝だなあ。今日もなんかよいことがありそうだぞ」で始まり、牛乳屋のケン太君を脈絡なく爆殺、墓参りに来たケン太君の妹に欲情して前述の行為に及び、つまりそれがライバルの恋人だったという設定が、行き当たりばったりのなりゆきのまま進んでいく。

 イボグリくんシリーズに描かれているのは、一切の解決を伴わない残酷である。イボグリくんが夕陽を見上げる絵と「明日はきっと日本晴れだぞ」というセリフのセットがシリーズのラストのコマのお決まりとなっていて、その夕陽の異様な大きさに不吉を感じて浅はかな人文主義的カタをつけたくもなるが、それは間違いなく見当ハズレというものだ。

 解決を伴わない残酷とはつまり、あらかじめ救われている残酷、あらかじめ許されてしまっている罪ということに他ならず、きもちの良い朝と明日の日本晴れの予感との間に悪辣非道が組み込まれる日々を、イボグリくんは淡々と繰り返しているに過ぎない。すなわちそこにあるのは恐怖ということになり、見てはならないものを見た、あるいは見たくないものを見た、という読後感があると同時に、認めたくない類の痛快が走るのを読者は拒めない。イボグリくんは笑えないという声のあるのは承知しているが、笑った側からしてみると、イボグリくんの笑いは「それはそうかもしれないが、言わずにそっとしておいてほしかった。しかし目の前に差し出されたのを見ると初めてわかるな、こいつは大笑いだ。とはいえこれを認めるのはまずいんじゃないか」といった類の内省の笑いである。

 イボグリくんについては山上たつひこ作品の究極の傑作との評価も多い。すべての山上作品をくまなく読んだわけではないから恐縮しつつ申し上げるが、それはおそらくその通りなのだろうと思う。また、私は、イボグリくんをはじめとする究極的な山上作品にあたりながら、それでもこまわり君に戻るのを繰り返していたわけだから、『がきデカ』にとりつかれたのも煎じ詰めればこの点、一切解決されない、残酷が柔らんだに過ぎない不道徳ということ、さらには、不道徳を解決しようなどとは考えない世界の魅力に理由があったのだろうと思う。

 山上たつひこは一九八六年に小説『ブロイラーは赤いほっぺ』を発表し、以降、活動の中心を文章に移していく。雑誌「ブルータス」(マガジンハウス)に連載していたエッセイ・シリーズ『地図の向こうは』とともにまとめられた一九八八年の河出書房刊の単行本のあとがきで、≪ぼくは漫画と同じように物語を書き始め、同じように書き終えた≫と山上たつひこは述べている。つまり漫画表現と文章表現は別物ではないということで、先に述べた山上たつひこの魅力が端的に文章として表れていると思えるものに、『地図の向こうは』の中の「旅ネタ一題」というエッセイがある。エッセイはこう結ばれる。

≪冒険家にもなれないが、いんなぁとりっぷすんのも嫌だ、という向きにはいい方法を教えよう。
夏の盛り、それもうんとアツーイアツーイ日を選んで女房を殺し、逃走する。この場合、できるだけ残虐な手口がよろしい。そして二、三週間後、死体の腐乱が最高潮に達した頃を見はからって、根室半島あたりのレストハウスから警察に電話するのだ。
「今おれの家に行ってみな、おもしろいモンが見られるぜ、けけけけ」
スリリングな旅になることうけあいである。≫

 旅とはどんなものであるかについて書かれたエッセイだが、右記の結びの前置きとして用意されているのが、次の一節だ。

≪ハレとケの境界があいまいな非日常風日常を送っているぼくらの旅は、たわいなく始まるけれど、二〇〇年前の人々の旅は、社会とのつながりを失うぎりぎりのところにいつもある。
それは無節操で、危うく、時には官能的でさえある。
旅という行為の、快楽的な部分だけを白痴的に享受しているぼくたちに比べ、なんと刺激的なことか。≫

「二百年前の人々の旅」とは、エッセイの中では落語に描かれた旅のことを指している。さらに同エッセイからの引用となるが、≪「ヒロシを忘れたくて」島根県津和野に旅する文子は乙女峠のマリア堂でひっそり涙ぐみ、記念スタンプを押して帰ってくればいい。だが、「磯七さんに捨てられ」たお袖は、川に身を投げるか、納屋で首をつるしかない≫、そういう旅のことを指している。

 山上たつひこが惹かれているのは明らかに「二百年前の人々の旅」であり、人々の、無節操で危うく官能的な状態である。イボグリくんも、こまわり君も、新喜劇思想体系の逆向春助も、半田溶助も、無節操で危うく官能的なキャラクターであることは言うまでもないだろう。満開さんや鉄筋トミーも、みんなそうである。共通するのは、何かこう切実な、命がかかってしまっているといわんばかりの態度、真剣な目だ。女の身体を下から見上げるのが好きだという鉄筋トミーが、しゃがんで話しかけようとする城木屋のナツに「立って下さい、立ってーっ!」と懇願するに至る一連の眼差しである。

 さらに言えば、山上たつひこ自身が『がきデカ』の絶頂期と言う単行本の十四巻から十九巻あたりでは、こまわり君はもちろんだが、西城君もモモちゃんも、ジュンちゃんもあべ先生も、栃の嵐も清治さんも、ジュンちゃんとモモちゃんのママも、西城君のパパもママも、こまわり君のとーちゃんもかーちゃんも、つまり登場するキャラクターのことごとくが無節操で危うく官能的となる。従ってそんな世界でなにかしらのケリをつけようと思えば、「あふりか象が好きっ!」「八丈島のきょんっ!」「暑さも峠だ、温泉こけし」「鶴居村からつるがくるゥ~」「はがゆいはがゆい博多人形」などの、今目の前で起きていることとなんら関係も意味も持たないフレーズとビジュアルでまず世界そのものを破壊してからでなければ次に進むことはできない。そしてそれがとてつもなく面白かったのだ。

 そんな視点で見直したとき、こまわり君の初期のギャグである「死刑!」や「んが」「んぺ」は、後のギャグに較べればはるかに、コマに描かれた物語と十分に関係性を保っていたのである。「死刑!」はこまわり君がなにかしら相手にクレームをつけたいときの非難用語だったし、「んが」は口を大きく開けるときの、「んぺ」は足で力こぶをつくるときの、こまわり君が口にするオノマトペだった。

 山上たつひこ自身、「一巻から七巻くらいまでは面白くない」と、『山上たつひこ自選傑作集 ベスト・オブ・がきデカ』(宝島社)の巻末インタビューで述べている。十四巻から十九巻あたりが絶頂期、という話もこのインタビューで語られ、その時期の『がきデカ』は、≪本当に面白く、つまり自分らしいギャグが出てきた≫、≪このあたりの作品はけっこう自分で笑える≫としている。
『ドカベン』や『ブラックジャック』を読むために買っていた少年チャンピオンに『がきデカ』が初登場するのは、前述したが一九七四年の十月である。「少年警察官(がきデカ)登場」と題された第一回を読んだときに感じたのは、こんな漫画は初めてだなあ、といった肯定的な驚きよりも、ひたすらの違和感と言った方が正しい。絵は汚く、内容は不潔で、ギャグ漫画のようだがどこが面白いのか、悪ふざけも古臭くないか、といった印象だったことを覚えている。「死刑!」のフレーズはこの第一回にすでに登場しているが、腰をひねったポーズではなく、ただ相手を指差して糾弾するだけのものだった。『ベスト・オブ・がきデカ』のインタビューで連載開始のときの反響について聞かれた山上たつひこは≪最初はよくなかったんです≫とまず述べている。

≪……4、5回目ぐらいの、連載が面倒臭くなってきたときに編集者が来て「今日はひとつ元気の出る話をしましょう」って言う。それが人気投票で二、三位になったという話だった。それまで僕の作品っていうのは、マニアにはウケても、人気投票ではあまりよくはなかった……人気投票で自分の作品が上位に来たっていうのは、びっくりしましたね。≫

 私はマニアではなかったから、ほぼ右に語られている通りのはまり方をしていったはずである。面白いと思い始めたのは数回連載された後のことで、決定的だったのは、「かーちゃんが居なくても!」と題された第十二回だ。一九八九年にがきデカはフジテレビでテレビアニメ化されている。そのタイトルソング「恐怖のこまわり君」(作詞・山上たつひこ、作曲・青木正義、編曲と歌・葡萄畑)の一番は次の通りだ。今になって気づかされるが、歌の題名に「恐怖」とついているのは私にとって大いに示唆的である。

≪がんばれ がんばれ ぼくのパンツ
ムチムチ太もも おうちゃく筋が
女の おびえる声を聞くと
だんだん 興奮してくるのじゃ≫

 ここに表れる「がんばれ、ぼくのパンツ」というフレーズが登場するのが第十二回である。かーちゃんが家出し、ジュンちゃんが手伝いにやってきてこまわり君の家に逗留する。朝、洗濯物が風にたなびいてもつれあっているのを見てこまわり君が興奮する、そのときに発するセリフだ。

 テレビアニメのタイトルソングなのだから、とりわけ大多数に印象の強かったモチーフが使われるはずで、だとすれば、私は至極真っ当、平均的ながきデカファンだったと言う事ができる。ただし、この第十二回で私にとって特に重要なのは「ぼくのパンツ」をはるかにしのいで、「練馬変態クラブ」だった。同意いただける方は多いと思う。

「ぼくのパンツ」ともつれあって戦っているのがジュンちゃんの下着だとばかり思っていたこまわり君は、それがとーちゃんのパンツだったと知り、こうなったら僕も花ガラのパンツを買うぞ、というよくわからない理由でデパートにジュンちゃんと出かけていく。「もっと、おとこごころをそそるようなの」をくれ、と言うこまわり君に女店員が、とぐろを巻いたヘビがプリントされているブリーフを薦め、こまわり君は試着する。そこに突然登場するのが練馬変態クラブの男三人衆で、三人とも獣プリントのブリーフ一枚だけという裸身をさらし、こまわり君にクラブ入会を勧める。

≪「ぼくはライオン!」「ぼくはゴリラ!」「ぼくは象!」「そして君はヘビ!」「四人合わせて花のアニマルズが――」(ぱんっ!(手拍子))「できるではない」(ドン!(足拍子)「か!」)≫

『がきデカ』に本格的に夢中になったのはここからである。絵と合わせて見たところのインパクトが初見なのだからもはや正確に腑分け分析はできないが、『がきデカ』はまず言葉だったと思う。「うげうげんぺんぺとびっ!」とか「ちょいとねーちゃん、なにぬねの」とか「あかーいあかーいおなごの下着。下着の中は想像、想像」とか、もちろんその後の「あふりか象が好きっ!」などの一連のフレーズはきわめて深刻に高校生期の私の頭に根を下ろした。社会人となってから一時期、広告文案の仕事に就いていたが、出てくる文案の調子がことごとくこまわり節であることに我ながら驚き愕然とした記憶がある。

「一巻から七巻くらいまでは面白くない」と山上たつひこはおっしゃっているが、私にとってはもはや一巻にして十分に過ぎ、面白かった。先の練馬変態クラブの第十二回あたりから以降は、すでに全登場キャラクターのことごとくが無節操で危うく官能的な状態、言うならば恐怖化し始めていたように思う。ただ、やはり、同じくインタビューにある、「連載開始当初は人気が上がらなかった。四、五回目くらいで二位、三位になった」というのは、事実その通りではなかったかと想像する。

 連載開始の三回目くらいまでは確かに面白くない。それは、冷静で常識的なツッコミ役が明確に存在し、こまわり君が、その人物のもつ規範によってツッコマれ、その規範の範疇でしょげるかまたは言い訳をしているからである。たとえば連載第一回では、「夏休みの宿題を全然やっとらん小学生がどんな気持ちで新学期を迎えるかこの現実を日本の教育者は考えたことがあるのか」と言うこまわり君に対して初回はあべ先生ではなかった担任の女教師が「よーするになんのかんのといっても宿題を忘れた口実にしたい訳ね」とツッコみ、こまわり君が「あっあっきついなー先生、そんなふうにとられると」と返す当たり前のやりとりが「死刑!」に至る流れだ。第二回では犯人のモンタージュをつくったらそれが自分であったこまわり君は「わ……わはははははは」と笑ってごまかし、自らを逮捕する。第三回では、罰としておしりをたたこうとするあべ先生に対して前を突き出す。「前の方が先生も喜ぶと思ったのに」と言うこまわり君に怒るあべ先生を「わははウソですウソです」とごまかす。露出した下半身をちら見するモモちゃんとジュンちゃんには「とかなんとかいいながら見てるじゃないか!」と非難する。

 初期三回くらいまでこまわり君は、後に私たちが魅了されることになるこまわり君とはまったく違う、きわめて常識的な性格と行動パターンを持っていたと言えるだろう。こまわり君はどうも変だ、と読者が気づき期待し始めたのは、第四回で学芸会のアイデアとして「東西おかま合戦」を提案したあたりからではないかと思う。

 後のエッセイや、文章の枕に置かれた軽い漫画作品を読めば、山上たつひこが落語と漫才にきわめて詳しく、それらを愛好している人だということは容易に想像できる。『がきデカ』を破壊的でアナーキーな漫画だと考える人がどれだけいるかわからないが、その実、『がきデカ』は、形式、型を明らかに持っている。全二十六巻収録のすべての作品がそうで、ここがまた私にとっては大きな魅力のひとつだが、ラストのコマはことごとく「おあとがよろしいようで」あるいは「いいかげんにしなさい」の常套句を付加して読むことができる。そのサゲに向かって、こまわり君と登場人物のすべてが、ボケに対してボケでツッコみ、つまり無節操で危うく官能的な関係がなりゆきまかせで組み立てられていき、見たこともない場が出来上がっていくのを毎週、少なくとも私は常に「あたたまった」状態で待ちかまえ、かつ今週もまた読み終えてしまうのをその都度寂しく感じていたのだろう。

 東京三鷹にある中古レコードの名店「パレード」を営む四十年来の畏友、木ノ内治氏に多くの参考を頂戴したことに感謝する。高校の同窓であり、出会いは『がきデカ』の共感だった。山上たつひこの魅力は『鉄筋トミー』の「女の身体を下から見上げるのが好きだ」のどうしようもなさだ、という大ヒントをくれたのは木ノ内氏である。